2013年6月27日木曜日

「自分を変えることって、生きるのがうまくなることだと思うんです。」

ギャップイヤーを取る人ってどんなひとだろう。
明確な目標を持って、計画的で、具体的な行動に移せるひと?
自分でプロジェクトを立ち上げる、海外でインターンをする、そんなひとは他人が何を言おうと自分で強く強く上を目指して行ける。
残念だけど僕はそんな強い人間じゃなかった。自分の言葉の責任をうやむやにして積み重ねてきたから自分に自信がない。それまで20年の人生をなんとなく「うまく」生きてきていたと心のどこかで知っていた。
ギャップイヤーはそんな「嫌いな自分を大切にする自分」とおさらばするための挑戦だった。
これからの「ギャップイヤー」は、もっと僕みたいに「強くはない人間」に広く手の届くものになって欲しいし、そういう僕みたいな人に届く文章をここで書ければと思う。
「ギャップイヤー」の定義は、親元や教員の元を離れた非日常下での国内外の「社会体験」や「就業体験」らしい。
そうなると僕のギャップイヤー経験は「世界一周」だけでは納まらない。旅費を稼ぐためとはいえ、社会人と同じフィールドで同じ責任、時間拘束という社会の流れに身を置いて働いたことも、たくさんの学びをくれたから。
答え合わせではなくとも、たくさんの間違い探しをできたギャップイヤーだったと振り返る。

1.「自分を変える」という言葉のハードル
「自分を変えられる〇〇」という見出しに多くのひとの目が止まってしまうのは、無意識でもそう思う節があるからなんだと思う。
「自分を変えたい。」自分に自信のない僕も昔からそう思い続けてきた。
でも、向き合えば向き合う程にぶつかってへこたれた。それは跳び箱の10段に踏切板なしに突っ込んだ小学生の頃と同じで、問題にはそれを飛び越えるための"踏切板"のような経験や人という"手助け"が必ずいるということを知らなかった。
「自分を変える」とは、過去の自分と切り離した新しい自分になること?そうでなければ今までの自分をどう位置づける?気持ちの整理下手な僕にはどこか遠い表現のように感じていた。
僕はギャップイヤーという選択をし、世界一周という手段でどう自分を変えることが出来たのか。
当たり前のことかもしれないけれど、大きく感じる2つの変化について話してみる。

2.「原因をいつも自分の中に観る」という習慣
予定通り進まないバス、乗り遅れた飛行機、先入観が生む誤解、慣れない環境に崩れる体調、真夜中に知らない街でのひとりぼっち、盗難被害。 ー 両手で抱えきれない程のハプニング。
道を外れてみたからこそ見られた景色、見返りのない優しさ、勇気を出して声かけたからこその繋がり、ちょっとした手助けの感謝。 ー でも出逢いがあるだけではダメで、それをどう活かすも殺すも自分次第。
初めのうちは、うまくいかない不満をその国の文化や社会に対してぶつけていたけど、逆にそこから見えてくるのは"自分の小ささ"だった。
「前を向かなきゃ、前に進めない。」
自己嫌悪になりながらも問題を整理して、自分次第で状況を変えられる切り口を見つけ出す。その試行錯誤を何度も何度も繰り返して一歩ずつ前に進んだ。そこに成長があったと思っている。
「成長する」には、自分の間違いを認める必要がある。海外旅行は"自分の間違いを受け入れ、何が出来るかを考え、次の行動に移す"という思考の循環を磨くいい修行の機会だった。そうすることで気持ちよく次の一歩が踏み出せるようになる。
それまで僕は"環境"に依存しながら、期待するのは自分で、成功だけを見て、間違いは"環境"のせいにして自分の気持ちにずっと言い訳をしてきていた。
そんな"嫌いな自分"を、僕は旅の途中で置いてくることができたと思っている。

3.「生きていく」の優先順位
何かを優先することは何かを捨てること。旅の過程にその判断をしなければいけない機会がたくさんある。
学生でギャップイヤーの海外滞在には期間や資金の縛りが必ずついてまわる。何にお金を使いたい?何にお金を使いすぎているの?どうしたら節約出来る? ー 考えたくない。
数ヶ月の旅、航空券の期限、その街での滞在日程、限られた旅の時間の中で何を優先した旅にしたい?ホテルで昼まで寝ている旅人、自分もそれでいいの? ー 自分の旅はそれじゃダメだ。
自分の優先順位を見失った旅は自分の旅ではなくなってしまう気がする。同じように自分の人生に優先順位を見失ってしまえば、自分の人生ではなくなってしまう気がする。
帰国してからも"何を基準にして何を優先するか"という考え方を大事にして日本の生活にも当てはめている。自分のお金の使い方を見直した結果、家は家賃の安くて、旅のドミトリー生活が続いてるようなシェアハウスだし、交通費は自転車通学などでほとんど使わなくなった。
自分のやりたいことや目的を明確に持てるようになったから、セミナーや飲み会に使うお金も減った。その分、やらなければいけないことの時間も確保しやすくなった。
そのようにして日常生活の"当たり前"の基準が変化した分、ものの見方や消費の仕方、豊かさへの感謝を暮らしの中に感じられるようになった。

4.ギャップイヤーで得たのは"結果"ではなくて、今後の人生を強く生きるために使う"武器"
僕のギャップイヤーは世界一周だけども、周囲から注目を浴びるような旅なんかしていない。自己完結の小さな物語みたいな旅だ。
でも、そんなちっぽけな僕の世界一周にも自分の行動に意味や価値を与えるために、目的を持つことが必要だった。というより、"生きていく中で目的と目標設定の大事さを自由な時間の中で思い知らされた"と言ったほうがいい。
僕は今後の人生を強く生きるためのターニングポイントを作りたくて、作った。
今後の人生で進むべき方向を見失った時に、"過去には自分がどう対処してきたのか"を振り返られる記憶、自分だけの哲学を備えたかった。
僕はギャップイヤーで「自分を変えた」と思っているけど、それを別の言葉で表現するとしたら、
"「自分を変える」=「生きるのがうまくなる」"になる。
身につけた習慣、異国の文化や出会った人からもらった物事のモノサシ、過去の後悔と結びついてできた経験則という"生きるのがうまくなる"武器。
その"武器"を駆使して、ひとりひとりが持つこれまでの人間関係、失敗や成功経験からの気づきを、"自分"へと落とし込むことで新しい自分を知る。これが「自分を変える」だと僕は思った。
村上春樹の文章に「人生には義務教育とは違う、人生の総合的な学習期間がある」という表現があるけど、僕のギャップイヤーもそれの大きな一部なのだと思う。
何か特別なことに気づくのではなく、みんなが知るべき本当に大切なことを学ぶ期間のこと。でも待っていたらいつその学習期間が来るかはわからない。僕は将来に感じる閉塞感を振り切りたくて、待てなくなった派だ。
人生はひっくりかえらない砂時計。早い時期に「変えられる自分」を自覚して「変えること」を怖いものではなく、人生を豊かにしてくれるものだと実感出来たことを知れたのは大きい。
ギャップイヤーで得る体験や考えには個性や特性があったりするけど、"生きる力強さ"みたいなものの本質は繋がっている。だから別の経験でその"強さ"を持っている人はギャップイヤーなんかとらなくてもいい。世界一周なんかしなくていい。
でも、現状と将来に自信がなくて弱い自分を認識しているなら、自分のために何か一歩踏み出さなきゃいけないと思う。
きっとギャップイヤーは自分の"弱さ"を"強さ"に変える橋渡しになってくれる。
そしてギャップイヤーを終えた僕はこれからが本番。
「世界に貢献していくことが目的です。」だなんて立派なことは言えないけど、「あなただからこそ出来た。」と言ってもらえ、社会に貢献していけるような大人を目指す。
日々の暮らしに意識高く生きたい。海外経験した日々と遠く離れても、日常の先にその問題を観るように意識する。一生付き合っていきたい海外の友達との関係を大事にする。
最後に、世界一周は辛さも含めて、本当に楽しかった。
20歳の短い期間に感じた、胸を刺されたような痛みや自分の無力さ、気持ちが弾けるような喜びや口が言葉を忘れてしまう程の感動。
こんな感情の起伏を味わうことは今後の人生であるのか少し心配にも思う。
でも、20歳が人生で一番楽しかっただなんて70歳の自分に言って欲しくない。
仕事にも負けないくらいのワクワクを感じられたら、世界で誰にも負けないくらい充実した人生だったと言える気がする。言えるようになります。
以上、長々となりましたが読んでいただいてありがとうございました。