2012年11月30日金曜日

緊急指令!集まれウフクペンション。



はじめて訪れていただいた方、ありがとうございます。
僕の旅エントリーのおすすめです。ぜひ、読んでみてください。
〜風景〜
また会いたくなるところ。   チェンマイにある日本人の知らないダムに浮いたゲストハウスの記事。
自分だけの景色を探して。   ダージリンで眺めた茶畑の美しさに目を奪われた。

一生一度の沐浴。       インド人と並んでガンガーに浸かる。一生に一度の経験。
瞑想のその先に。       インド、ジョードプルで瞑想に挑戦してみたときの場所が絶景。

ダハブな生活。        海に、街に、人に恋してしまうダハブの日常の魅力。

〜想い〜
欠けたもの、気づけたもの。  いざ世界一周に出て知った自分の弱さや本当に求めていたもの。
時間と僕。          小さい頃、時間は友達だったはずなのに。。。いまは競争相手だ。
チャイのコップは投げられた。 コルカタで道を歩いていたら、、、どう受け止めるかの葛藤。
愛はいつも行動の中にある。  昔の恋愛で見えなかったことがすこしづつ見えてきた時。
インドなんて嫌いだよ。    だれがこんな国をすきになる?。。。。。でも、僕は嫌いになれなかった。
夢を見つけた時。       人は夢を探してるのに、本当に見つけたらどんな気持ちになるかな。ぼくは。。。


ある世界一周者のブログの文章。 
僕が世界一周ブログを書くにあたって考え方を参考にしたブログ。
僕のブログが終わる時、僕自身がこんな人間になっていたいし、読む人にもその考えが伝わるように。 


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「ここの渓谷はセックスバレーというんだよ。」そうタクシー運転手が言う。

「なぜ?」考えてみてもなかなかわからない。。。



「ここの岩は男のあそこに似てるからさ!」

突拍子にそんな思ってもみない回答にふたりして頭を抱えた。



宿に戻ると、バルーンの一機が宿の近く、低空飛行しているのが見える。

どんどん近づいてくる。笑いが恐怖に変わっていく。



「ぶつかる!」そう叫んだところで朝を迎えた。

左がパキスタン出身のビラルで、右がアメリカ出身のLeo。

いまのは夢です。それもLeoの。

一緒に朝食を取ろうと席に着いた時に、うなされていた夢のことを話してくれました。

そういえば、、、うなされていたなあ。

それに気球のことは僕が、天気よくなかったっていい過ぎたからかな。

Leoは身長2m近くて、ビラルが可愛らしいく見える。

とっても優しくて、ゆかいなふたり。


朝食を済ました後のほっと一息にはローズティー。

甘さでみたした朝食を独特の酸っぱさが引き締めてくれる。

ストーブで暖まる部屋はなんか秋田の実家を思い出させてくれた。


秋田の冬は雪かきで始まる、そういってもいいとおもう。

街だって除雪車を駆使するけど、家の前までもやってもらうわけにはいかない。

防寒着に身をくるまれて、着膨れしてもこもこになった服装。でも、嫌いじゃない。

凍った玄関を無理矢理開ける。

「さて、外はどんな天気だろう、吹雪かな、晴れかな?」

一晩のうちに何十センチも積雪するときは、雪は静かに降る。

玄関の先にひろがるのが、真っ白で太陽の光がこれでもかというほど反射する景色。

鼻に入ってくる頭を一気に冷やして、目を覚ませてくれる空気。

見とれてぼーっとすると、空気がピンッと線を張るという意味が分かる。



その空気を破るのがお隣さんとのあいさつであったり、玄関から飛び出した大好きなうちの犬だったり。

自分の足の長さよりも雪が積もったときは動けなくなって姉さんと大爆笑だった。

ごめん、本人は必死だったよね。


今回、お世話になったのは友達に紹介してもらった"ウフクペンション"

オーナーのオルハンは日本人の奥さんと結婚してて、日本語もだいぶうまい。

僕はそれを知るのが遅かったから、ずっと英語だったけども。。。

Skypeで日本にいる奥さんや子供と通話する姿は"親バカ"というか可愛いパパそのもの。

バスの情報、観光の仕方、気球、何でも知り尽くしていて、困ったときは素直にあまえてみよう。


マイブラザーって呼んでくれたのに、名前忘れた!マイブラザーっていつも呼んだきみのせいね!

「クリスティアード・ロナウドに間違われる。」と豪語して自慢をしてきた彼。

この写真も、僕がいまにカメラを置いてる間に自撮りしたもの。うまいし、決めすぎ。

「あのカメラはきみのかい?」

その質問の意味があとでわかったよ。

オーナーとも本当に仲がいい。もう気持ち悪いくらい。



家族経営の大きすぎない規模のペンション。

お部屋クリーニング担当のお母さんの笑顔も可愛いし、泊まっている人がとっても近くて

自然に仲良くなっていく空間。

それが素敵で魅力なウフクペンション。



感心することがあった。それはサービスって言ったら冷たいかもしれない。

日本語の表現のほうがいい。"お客さんへの心遣い"に感心させられた。


寒い寒いこの時期のカッパドキアの外から帰って来た凍えた身体に、

「とっても寒いね、何を飲む?コーヒー?ローズティー?」

いつもいつも、その好意に甘えていた。

お友達が来たときも、飲んでからしばらく時間が経った後も

絶妙なタイミングで"問いかけてくれる"

かゆいところに手が届く、そんな言葉がぴったりかな。

それが自然に出来る人ってあたたかいし、素敵だと思う。

でもそういう人もすきだけど、彼らの場合は僕らをもてなす為に意識を高くしている。

そんな"日本の接客"に似ているような気がした。

それは"自然"ではなくてもっと"努力"している感じ。

彼らだって時にはめんどくさがるし、ソファを占領して寝てるときだってある。

猫が扉をノックする。

すべてとはいえないけど、でもやはり日本の接客サービスは素晴らしい。

海外のデパートではスタッフが携帯を使うことはもちろん、フィリピンでは食事もしていた。

近くのスタッフとの会話を優先して待たされることもあれば、

真面目に座っているなと思わされれば、寝ていることも多々ある。



その分、海外のような接客のいいところはその人の個性がにじみ出ていること。

冗談を交わしたり、世間話をしたり、"お客さんと店員との壁が薄いこと"を感じられる。

「またね。」と声をかけて、笑顔で去っていく買い物は残念ながら日本では少ない。

それが出来た時しか知れない、気持ちよさ。

ただ"好きなものを買う"ではなくて"好きなものを、好きな人から買う"

たったひとつ増えるこの"好き"がどれだけ幸せをくれるか、笑顔をくれるか、想像してください。

僕が旅でも日本の日常でも"人から買う"を意識しだしてから日常をもっともっと好きになった。

買ったものを説明する時、「あそこの店のどういうスタッフさんが。。。」

そう楽しく話しだせるものに身の回りを囲まれて暮らすんだから。


 僕が街で誘った方や、合流を約束していた台湾人の男性、みんなウフクに集まった。

ここに写っていない人もいれると10人のお客さん、そのうち6人はウフクに泊まっていない人。

もちろん優しく受け入れてくれて、人が集まったからポップコーンパーティーも始まる。

ひとつのテーブルを囲んでみんなで話して、偶然のつながりがあったりして、

またブログを読んでくれてる人と会えたりして、もう僕と関係なくてもわくわくどきどきの連続。



ゆっくりと過ごしたカッパドキア、ウフクペンション。

「次きみが来たときは、カクテルパーティーだ!」ってオルハン。

「今度来るときはたぶん独り身じゃないからね!」って言ってやった。


今頃は、僕のもらった5%オフの名刺を利用して僕の友達がウフクを利用してるはず。

寒さは増していくいっぽうだけど、ウフクペンションは変わらず温かいところです。

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【宿情報】 ウフクペンション


20リラ 朝食付き ドミトリー 900円ほど

夕飯 10リラ 夕食だけの利用可能。


地球の歩き方にも掲載されている。
バスターミナルからミュージアムの方向に歩いて5分。
目印、"シューティングスター"というお店のそば。
商店通りを抜けてすぐ右の坂をちょっとのぼれば到着!!
ぜひ宿泊してみてください。

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2012年11月29日木曜日

気球に乗ってどこまでも。。。いけなかった。

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〜風景〜
また会いたくなるところ。   チェンマイにある日本人の知らないダムに浮いたゲストハウスの記事。
自分だけの景色を探して。   ダージリンで眺めた茶畑の美しさに目を奪われた。

一生一度の沐浴。       インド人と並んでガンガーに浸かる。一生に一度の経験。
瞑想のその先に。       インド、ジョードプルで瞑想に挑戦してみたときの場所が絶景。

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〜想い〜
欠けたもの、気づけたもの。  いざ世界一周に出て知った自分の弱さや本当に求めていたもの。
時間と僕。          小さい頃、時間は友達だったはずなのに。。。いまは競争相手だ。
チャイのコップは投げられた。 コルカタで道を歩いていたら、、、どう受け止めるかの葛藤。
愛はいつも行動の中にある。  昔の恋愛で見えなかったことがすこしづつ見えてきた時。
インドなんて嫌いだよ。    だれがこんな国をすきになる?。。。。。でも、僕は嫌いになれなかった。
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努力とは辛いことではなく、苦しむことでもなく、楽しいこと。気持ちを込めて。

過去の記事、一部画像が削除されています。復旧させているのでしばらくお待ちください。



トルコ、カッパドキアと言えば"バルーンフライト"

僕もこの行事を大事に、楽しみにしてきた。そしていよいよそのときが訪れる。

とても寒い寒い朝だった。


あたためられた気球が大きくなり、空にそびえたつ。

バーナーの火力は強力で、それを扱うフライトランドクルーの働きぶりは男らしい。

僕らはそれを温かいコーヒーやパンを片手に見守る。

それはもうのほほんと。

ひとつのバルーンにはだいたい15人くらいが乗り込む。



地面がゆっくりと、でも確実に地面から離れていった。

人生で飛行機以外のもので空を飛んだのははじめて。

みるみるうちに地面が離れて、「いってきます。」と呟いた。



空を飛ぶのは、本当に憧れてた。

飛行士になりたいとかそんなんじゃないけども、なんだろう?

あの"限りのなさそうな自由さ"かな。

鳥になって上空を吹く風にあらがって心臓が破裂するくらいまで羽ばたいてもみたいし、

流れる風に身を任せて、空から景色を見ながら旋回して空にとどまりたい。

疲れたら大地に降りてきて、大の字で寝たい。




なんてわがままなんだろう。。。



でも。。。。。



僕の気球から見た景色は、




実際のところこんな感じでした。


渓谷はみることは出来たのだけれども、高度をあげてみても空の霧の層があつく、抜け出すことが出来なかった。

360度にひろがる、一緒に飛んでいるバルーンの写真やカッパドキアの広大な土地の写真はお預けになった。

それでも操縦士のはからいで、谷間すれすれや奇岩の隙間をバルーンは飛行してみた景色には感動したし、

何よりも気球に乗っていることだけでぼくはただ楽しかった。


「一寸先は闇。」ではないけれども手を伸ばした先は真っ白の霧の世界に入る。

途端に僕の乗った気球が世界から孤立したような孤独感。



でも横に目をやるとおなじ気球に乗ったクルーがいて、安心する。

世界が沈黙したような静けさを破らないようにか、会話は目と目で行われた。

その世界の沈黙を破る音と言えば、気球のバーナーの音だけだった。






大満足のフライトというわけにはいかなかったが、でも心躍る体験。

時期があわせられるのであれば、夏場をおすすめしますが。



カッパドキアの旅行者の街、ギョレメ。

奇岩群、それにさらに古代の人間が穴を掘り、何万人もの人が住んでいたという。

そしていまある街もまた、その残った洞窟の掘られた岩をホテルや住居に取り入れた生活が残る。

写真で想像してた景色は、街とは別の離れたところにあるものだと思っていたけど、実際は生活のすぐ隣にいまもあった。


僕の想像とは違った雰囲気を持つ街に、心がわくわくしだす。

「ツアーに行って、気球に乗って次の街へ。」

イスタンブールで会った旅人でも、カッパドキアで会った日本人にもそんな人たちが多い。

見所はそんなものなのかなという予想とは裏腹にゆっくりと落ち着ける素敵な街に僕は思えた。

その理由はこんな景色が歩いて見に行けるから。



全部で4kmほどの道程で、途中には落ちたら死んでしまうような崖にも柵はない。

そこがまた古代の住居時代から手を付けられていないような、不思議な世界に浸らせてくれる。

まがりくねって先が見えない道が冒険心をくすぐる。


僕が歩いたのはローズバレー、レッドバレー。

その道程の途中にはぶどう畑が点々と育てられていた。

もちろん、栽培されているものだが、この時期は収穫も終えた後なので食べていいとトルコ人の旅行者が教えてくれる。



ですので、確証はありません。



でも冷たくて、甘くて、かわは酸っぱくて、本当に美味しかった。


景色がおおきくておおきくて写真を撮る手がとまらなかった。




岩山にゆっくり腰を据えてみたり、掘られた住居にはいってみたり。

ちょっとゆっくり時間をとれたらまた違う楽しさがどんどん見つかる街。

フライトでうまく景色は楽しめなかったけども、その分歩いて見つけた景色で充分満足できました

それでは、あなただけのカッパドキアを楽しんでください!

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2012年11月28日水曜日

神様はこういうふうに"出逢い"を仕組むのか。

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一生一度の沐浴。       インド人と並んでガンガーに浸かる。一生に一度の経験。
瞑想のその先に。       インド、ジョードプルで瞑想に挑戦してみたときの場所が絶景。

ダハブな生活。        海に、街に、人に恋してしまうダハブの日常の魅力。

〜想い〜
欠けたもの、気づけたもの。  いざ世界一周に出て知った自分の弱さや本当に求めていたもの。
時間と僕。          小さい頃、時間は友達だったはずなのに。。。いまは競争相手だ。
チャイのコップは投げられた。 コルカタで道を歩いていたら、、、どう受け止めるかの葛藤。
愛はいつも行動の中にある。  昔の恋愛で見えなかったことがすこしづつ見えてきた時。
インドなんて嫌いだよ。    だれがこんな国をすきになる?。。。。。でも、僕は嫌いになれなかった。
夢を見つけた時。       人は夢を探してるのに、本当に見つけたらどんな気持ちになるかな。ぼくは。。。


ある世界一周者のブログの文章。 
僕が世界一周ブログを書くにあたって考え方を参考にしたブログ。
僕のブログが終わる時、僕自身がこんな人間になっていたいし、読む人にもその考えが伝わるように。 


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トルコからまた気持ちを入れ替えてエントリー書きます。しっかりと気持ちを込めて。



このおじさんはカッパドキアの街並みを眺めて悩んでいた。

僕の気持ちもまた、自分を動かしてくれる"言葉"を探して悩んでいた。


この頃は、ブログをやめないだろうと言い聞かせつつ、くよくよ悩んでやりたくないならやめちまえ!と

どこか間違った方向にも勢いでアクセルを切ってしまいそうな僕がいた。


カッパドキアはその奇形の岩や渓谷がひろがる地を気球に乗って眺めるのが観光名物。

その日の朝にあがれなかった気球たちが、日中に空に浮かんだ。

地面であんなに大きくバルーンを広げていた気球も空にあがってしまえば、その広さの前に小さくなった。

小さく可愛い雲と蒼さのコントラストが綺麗な空だったけど、そのときの僕には

小さくなっていく"孤独な気球"にしか見えなかった。


ギョレメの街や気球飛行が眺められるこの丘に、かつさんとみなこさんと一緒に登った。




僕たちの出逢いはほんとうによくある"偶然"だった。

でもそれはあとで輝く"偶然"だった。

イスタンブールからカッパドキア行きのバスにおなじく乗り合わせただけ。


最初はぎこちなかった僕らの会話も休憩所などで言葉を交わすにつれて、ひとつづつ簡単に壁を乗り越えて打ち解けて行った。

言葉遣いや話す声から人柄はにじみ出ていた。

僕も自然と「この人とは仲良くなりたい。」そう感じていた。


12時間の長旅の後、カッパドキアの街に到着した。

僕とかつさんとみなこさんともうひとりの学生、計4人の日本人はそれぞれ目的のホテルに向かった。

一緒にカッパドキアをまわる約束をするわけでもなしに。

ただ「また会えるといいね!」の言葉をかけあった。



再会は日中にバルーンがあがった日の午後。

僕がその丘の上に登りに行く途中で宿のルーフに立つふたりを見つけて、地上から大きく手を振った。


「一緒にあの丘に登りませんか!」


かつさんとみなこさんのことを知れば知るほど、幸せをもらってる気がしてぼくは微笑みたくなった。

「写真を撮ってくれないか。」と頼まれたぼく。

レンズ越しに見たふたりを見て、景色に映えるなあと思わされた。

だからといって、僕が寂しくなるわけではない。温かい気持ちを分けてもらえた。

僕は写真に関しては"撮られるより撮りたい派"。

それも撮るからにはそのひとたちの自然で一番いい顔を撮りたい。

思い出として何度も見返したくなる写真を撮ることを勝手に意識していた。

いい構図をあたまの中で思いついた時、

珍しく自分から「カメラを渡してください!」そういってかつさんとみなこさんの写真を何枚か撮った。

その写真を見てもらうときの相手の顔に僕は緊張するけど、気に入ってもらえたようで僕の顔も緩んだ。



トルコに来て、ふたりで旅されてる方や夫婦で旅してる方によく出会う。

いまはこのひとりの自由な旅でいいけども、いつか好きな人とめいいっぱい旅の時間を共に過ごしたいとも思わされる。



「そろそろ帰るか。」そういって足を帰路に向けた時、

ひとつのバルーンが丘に近づいてきて、すれすれを飛行する。

はじめは手を振っていた僕らも近づいてくるにつれて気持ちも高鳴る。



僕はかつさんと一緒に、気球を追いかけて駆け出した。


練習中の気球だろうか、地面にも思いっきりぶつかっていた。

近づこうとする僕らを乗組員が注意してきた。

手を伸ばせば届きそうな距離にもう気球はあった。


ふたりそこまで必死に走った。

子供みたいに走った。

無我夢中で走った。


僕らから離れていく気球を見守って、自分たちの"走り"に笑った。

みなこさんも「ふたりとも少年みたいだった。」って。

かつさんは「でも、こうできること大事よな。」

「これが仕事でも何でも出来たら、最強ですね!」って僕が言う。

そうして3人で笑いあった。

とってもとても楽しい時間だった。


でも、僕にとって本当に嬉しい出来事はその後に待っていた。


かつさんとみなこさんを僕の宿のディナーに誘った。

もう僕はすっかりふたりのことが好きになっていた。

かつさん、みなこさん、それぞれの雰囲気。

ふたり一緒にいるときの雰囲気。ぜんぶぜんぶが、もうなんか優しかった。


Facebookを交換した時か、

「僕毎日ブログ書いてるんで、投稿ウザかったらかくして下さいね。。。」

ブログのタイトルを聞かれて恥ずかしながら答えた時、




「わたし、じゅんいちくんのブログよんでます。」




いままで旅をしてきてはじめてだった。

いまでこそ、かつさんとみなこさんはふたりまた旅をしているけど一度ふたりは離れてしまったらしい。

別々に続けていた旅でモロッコにお互いがいることを知ったみなこさん。

でも、動けずにいたみなこさんを動かすきっかけになった言葉が僕のブログにあったって。





ブログ書いてきてよかった。

ぼくの1日に2、3時間かけてしまうブログは決して無駄じゃない。

それを実感に変えてくれた出逢いだった。

その言葉を聞いた時に、僕のブログを書き続けようという意志は固まった。

「僕、本当はブログをやめようと思ってたんですよ。でも、いまやめられなくなりました。」

ふざけて言ったように聞こえたかもしれないけど、嬉しくて恥ずかしかったんだ。

僕の欲しい言葉は、今回は僕の外にあった。

"このタイミングで神様はこういう出逢いをくれるのか"


ふたりと遅くまでお話をした。かつさんのお話、みなこさんのお話。

「本当に大切な人って誰だろう。」そんな話をしていた。

「旅を終えて、期間をあけても忘れられないひとは本物なんじゃないかな。」

僕にとっては誰だろう。


僕はかつさんがみなこさんを呼ぶあだ名が好きだった。


僕もだし大好きなふたりにも、どんなかたちであれ、それぞれ幸せになってほしいなと思う。


会って一緒に過ごした時間は短いけども、僕も自然と自分をさらけ出せるおふたりだった。






ドイツで会えるのを楽しみにしています!

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2012年11月27日火曜日

世界一周ブログランキングとの付き合い方。


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〜想い〜
欠けたもの、気づけたもの。  いざ世界一周に出て知った自分の弱さや本当に求めていたもの。
時間と僕。          小さい頃、時間は友達だったはずなのに。。。いまは競争相手だ。
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インドなんて嫌いだよ。    だれがこんな国をすきになる?。。。。。でも、僕は嫌いになれなかった。
夢を見つけた時。       人は夢を探してるのに、本当に見つけたらどんな気持ちになるかな。ぼくは。。。


ある世界一周者のブログの文章。 
僕が世界一周ブログを書くにあたって考え方を参考にしたブログ。
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明日の記事は憧れのカッパドキア!あ、現在過去の記事の一部で画像が消えています。修復中です。


世界一周ブログランキングって、旅人にとってなんだろう?

世界一周ブログランキングって、僕にとってなんだろう?



昨日も少し触れた、世界一周ブログランキングについてのぼくの想っているところについていろいろと。


僕は旅で世界一周ブログランキングに参加している人に数人あった事がある。

そうでなくともブログを書いている人、日記を書いてる人。


ブログと日記の差はなんだろう?

インターネット上に公開され、人の目に触れるブログ。

自分だけのノートに、自分の文字で書き残す日記。

僕は日記も好きだなぁ。。。出来る事ならノートに日記も書きたかった。

きっと書き込む内容はもっと荒々しかったり、深さがなかったり、落ち込んだものかもしれない。

勢いにまかせて書き込まれた、どうしようもない文章になりそうだ。

いや、実際なるだろうな。。。

僕はインターネット上に公開する事でそんな自分を律して、考える機会として人の目に触れるブログを選んだ。



ただ日記には味や深みがある気がする。


日記はあくまでも"自己完結"

自分への自由な問いかけに、嘘の必要ない気持ち。話を無理に終わらせる必要もない。

悩んだら、明日もおなじ事を考えていい、それを書いたらいい。書きなぐっていい。

自分と一緒に育ってきた、自分の文字。

感情に左右されてしまったときの汚い文字、落ち着いた気分を表すような端正な文字。

書く意識とは遠いところに、その記憶も保存される。

旅を終えた後、そしてその本を開いた時、"記憶"というフィルムがあたまの中で上映されるかもしれない。



もうひとつの味は"ノート選び"。書くひとの個性が出る。それとも海外で買う?

表紙はどんなデザインか?よくある勉強用のKOKUYOノートだろうか?

中身のページはどんな種類が書きやすいか?まっさらなものか罫線がはいったものか?

書き始める前から書店で悩む、わくわくした気持ち。


ブログに関していえば、"つながる事のなかったであろう人との言葉のやりとり"だろうか。

それは自分におさまらないし、コントロールは難しい。

ただ何につながるかわからない、大きな可能性も秘めている。



たぶん、ブログランキングに参加している人はみんな考えた事があると思う。



"どうしたらランキング上位になれるか"



僕が世界一周を計画した1年半前から読み出した世界一周者のブログ。

そのなかから感じた事は、"いかに自分をブログの中に表現できるか"であった。

そこで重要になるのは"旅の質"ではなくて"文章力"になってしまっている気もする。

それは"書き物"なのだから、あたりまえなのかもしれない。


それでもたまに見かけたことがある、自分のキャラクターとは違う自分を演じてブログを書く人。

以前の世界一周者の雰囲気を真似てブログを書く人。

目的に即する個人の目標の意味合いは変わるからなんともいえないけども、

自分の外で語った自分の文章を、その物語を、旅を終えた時に自分で読み直したいと思うか。

ずっとずっと残したいと思えるか。

なにより書いている時に辛くないか。

自分自身の経験を、自分と違う自分で書く事が楽しいのか。気持ちいいだろうか。

きっと僕は耐えられないだろうなぁ。


でも、とある大学生の世界一周者が成し遂げたように考え抜いて計算し尽くして、

人のこころを自分の示すところに持っていった文章をかいた人もいる。

悪くいえば人の心に嘘をついていたことにもなるが、その文章で動かされた人の気持ちは本物だった。

それにその人は世界一周よりももっとおおきな目的を持っていたからこそだろう。

だから、僕はその人の文章を尊敬する。それに僕も魅了されていたひとりだ。

生きた情報ってなんだろう?

僕は宿の情報や、バスの乗り方、料金はいくらか、というのはブログに書かない。

それはその直前でしか憶えられないものである気がするし、どうせ現地で旅人は確認する。

それに、"表現"でもない。ひとのこころは動かない。

だれかの助けになるかもしれないけども、その情報交換は無機質に感じられる。

それは多くが"自分とは切り離されたデータ"でしかないから。そこに、"情報"はない。

そのブログを訪れたひとは自分の知りたい事を知れたら、それでそのブログを閉じてしまう。

そんな風に僕のブログはされたくなかった。

(旅の終わりに宿泊した大好きな宿のまとめはしようと思う。)


"ひとに自分のこころを開いたぶんだけ、ひとからもこころを開いてもらえる。"

僕の考え方の参考になったひとの言葉。

ひとと話す時に大事な事。ひとと出会った時に大事な事。

それはそのままブログにも通じる。

ブログもまた言葉と言葉を通してのコミュニケーションだから。

少年みたいに素直でいたい。でも思慮深くありたい。

最近、僕のブログを読んでくれている旅人の方でおなじくブロガーの方と偶然出会えた。

そこで言ってもらえた事は"気持ちを素直に書いているね"という事だった。

そして思い返してみると、仕事をしていたときも、部活動に励んでいた頃も、

僕は"素直さ"を認めてもらっていた気がする。でもまだ本当は"素直"って言葉はピンと来ない。

その代わりに"気持ちに正直"といわれたらピンと来るし、

自分でもそれをとことん突き通そうと思っていることは確か。

まだ具体的に自分に落とし込めてはいないけど、そう遠くないうちに自分の中に落とし込みたい。

それが僕の欲しい、自信になるかもしれないから。



旅に出て、僕は逆に他の人の世界一周ブログを読むのをやめた。

自分の世界と考えを大事にしたかったから。

ぼくなんてまだまだ未熟で30位代に入るのがやっとだし、

「僕みたいに、、、」とは死んでも言えないけど、

読者の目線から見たら、もっともっと自分の考えを大事にして、

主張してくれる旅人さんブロガーが増えればもっと楽しくなるなあと思う。

だから僕、風俗のこと書くひとのブログも好きで考えてる事はとっても面白いと思う。

僕の知らない世界だし、びびりだから行こうとは思えないんだけどね。



意見の主張は"自分の考え"をまとめなきゃいけないけど、自分を育てるきっかけにも

世界一周ブログを読んでくれる人が増えるきっかけにもなると思う。

そしたら世界に関心を持つ人も増える。僕らの好きな旅に出る人も増える。

いい事づくめですね!



ブログ×自分ができることってなんだろう?

自分のかける文章、書きたい文章を誰にどう役立てたいんだろう?

何を伝えたいんだろう?


ブログなんて自己満足だけども、"主張を持って大事にする事は自分を大事にする事"のような気がする。

押し付けるのではなくて、自分を大事に表現したい。



今日は偉そうにすみませんでした。

旅人ブロガーさんとの出逢いも楽しみにしています!

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今日も読んでいただいてありがとうございました。
読んでくれる人のこころになにか残せるように言葉を探します。
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2012年11月26日月曜日

このブログが終わりそうになった理由。

はじめて訪れていただいた方、ありがとうございます。
僕の旅エントリーのおすすめです。ぜひ、読んでみてください。
〜風景〜
また会いたくなるところ。   チェンマイにある日本人の知らないダムに浮いたゲストハウスの記事。
自分だけの景色を探して。   ダージリンで眺めた茶畑の美しさに目を奪われた。

一生一度の沐浴。       インド人と並んでガンガーに浸かる。一生に一度の経験。
瞑想のその先に。       インド、ジョードプルで瞑想に挑戦してみたときの場所が絶景。

ダハブな生活。        海に、街に、人に恋してしまうダハブの日常の魅力。

〜想い〜
欠けたもの、気づけたもの。  いざ世界一周に出て知った自分の弱さや本当に求めていたもの。
時間と僕。          小さい頃、時間は友達だったはずなのに。。。いまは競争相手だ。
チャイのコップは投げられた。 コルカタで道を歩いていたら、、、どう受け止めるかの葛藤。
愛はいつも行動の中にある。  昔の恋愛で見えなかったことがすこしづつ見えてきた時。
インドなんて嫌いだよ。    だれがこんな国をすきになる?。。。。。でも、僕は嫌いになれなかった。
夢を見つけた時。       人は夢を探してるのに、本当に見つけたらどんな気持ちになるかな。ぼくは。。。


ある世界一周者のブログの文章。 
僕が世界一周ブログを書くにあたって考え方を参考にしたブログ。
僕のブログが終わる時、僕自身がこんな人間になっていたいし、読む人にもその考えが伝わるように。 


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3日続けて旅行ブログっぽくないかもしれませんが、お付き合いください!!



僕を陰ながら応援してくれていた友達、読んでくれていたひとに言わなきゃいけないことがあります。












。。。。僕、ブログをやめようとしてしまいました。







少なからずいただいていた期待を裏切るかたちになるところでした。

そして、なにより"自分から自分への期待にも"

誰に対してと言えるわけではないけれども謝ります。

すみませんでした。ごめんなさい。










でも、いつのまにかぼくの胸に潜んでいた違和感はじわじわと大きな実感に変わっていき、走っていたはずの僕は自然と足を止めていた。

どうしてか理由も分からず、身動きがとれなくなってしまっていた。



イスラエルからトルコに入って、1週間程ブログを書かなかった。書けなかった。

それまで動いていた手や頭、ブログを書くことで身に付いた時差の感覚や早起きの習慣もどこかへ遊びにいってしまったような気持ちだった。


書こうと思えば、いつでもその感覚たちを呼び戻してブログに向き合える気もすれば、

その感覚たちに「さよなら」を言って違う道を選ぶタイミングなのでは、という気もしたから。


ブログを休んだ1週間は楽しかった。

時計を見るのをやめて、街を歩き回って、漫画を読んで、人と話して、夜更かしをする。

「その時間も悪くないなぁ」なんてもおもったけど、

僕の場合はブログをやっていたからこそ、味わえたものだと感じた。

ブログをやめたらとても時間がうまれる。





でも、その時間は僕には多すぎた。



もし僕がその時間の生活に慣れたら、焦ってしまうと思う。

そのうまれた大きな時間を"いま以上に大切にできる自信"がなかった。

僕のブログという"制限"は僕を毎日文字とパソコンに向かって悩ませる一方で、僕に他の時間をどう使うべきかを教えてくれていたことに気づかされた。



旅人に"ブログを書け"って勧めてるのではなくて、夢中になれるものが旅中にあればいいのかなと思う。

夢中になってる時間は"無敵モード"であって生き生きしていられる。

でも、残された時間で旅の醍醐味を味わうことも忘れない。


天秤の皿にのせてみて、そのバランスをみてみよう。

それが僕にとってのブログであっただけ。


あなたにとってそれはなんだろう? きっと自分らしいものだろうね。


花を咲かせ種をつける目的のために、花は葉を作り茎を伸ばす。

僕がブログを書けなくなった理由は


"僕のブログを書く目的と、その目標が噛み合っていないことを自分で知ったから。"



僕のブログを続ける目的は"夢を見つけた時"で旅の当初との意味が変わった。

コピーライターになりたいという夢を持つことで、

自分の気持ちを言葉で表現し、その表現を磨く場としてブログをこころの中に位置づけた。

目的にした。

ただ僕の中での目標は当初から変わらない"世界一周ブログランキング1位"だった。

そこが問題だった。ここが僕のこころに引っかかった。

("世界一周ブログランキング"について思ってることは明日の記事で詳しく書きます。)


確かに"世界一周ブログランキング1位"は目に見える成果であり、結果だった。

僕もこの挑戦をする上で、はじめからずっとその目標を恐れ多くも掲げてきた。

でも僕は言葉や表現を磨くこととランキング1位が必ずしもつながっていないことを前々から感じていた。

それはもう旅に出る前から、、、先立って世界一周ブログを書いてる方たちをずっとみてきたからこそ。



"目的"と"目標"どちらを重視すべきかを僕は知っています。

みなさんは知っていますか?

友達と遊んで楽しむ目的があるから、そこまでいく方法や時間という標を計画としてたてる。

看護師になって患者さんを笑顔にしたいから、そのための国家資格をとる。


花を咲かせ種をつける目的のために、花は葉を作り根や茎を伸ばす。

根や茎を伸ばした後に、「花つけよっかな!」ではない。




よく混乱してしまうのは"目標が目的にいつのまにかすり替わってしまうこと"。


でも、忘れてはいけないことは"いつも目標は目的についてまわる"ということ。



だからぼくは、ランキング1位よりも表現を磨くことを重視する必要がある。

その過程にランキング1位があったらいいとは思うけども、前よりは固執しなくなった。

より重要度の高い"目標"を自分のなかに掲げて、更新をしていく。




休んでいる間に気づいたことは多くあった。

そのひとつに"努力"という言葉の意味。

これはあるコピーライターさんの言葉だった。

〜努力というのは、眠らない事じゃない、苦しいことじゃない。我慢する事じゃない。全力を傾けること〜


"努力=辛いこと"ではないのだと気づかされた。いままでは勢いで走ってきてた気がしたんだ。

"ブログを毎日更新"って決めて、寝る時間を削って努力してるつもりの自分に満足しながら続けてきた。


旅にでて、睡眠時間を削って頑張っていたことを苦しみながらも「頑張っている」と自覚していた自分は、日本によくいるなりたくない大人「忙しい」を自慢する人になっていたのかとも気づかされる。

睡眠時間を削ることは僕にとって必要条件であり、辛いことを我慢して、乗り越えてこそ
その先の景色が見られるんだと想い込んでいた。

「努力」という言葉を辞書やウェブで調べてみるとでてくる意味は、

"心をこめて事にあたること、好ましい状態を実現するため、全力を傾けること"という事。

どこにも「苦しい、辛い」の文字は一言も書かれていない。


分かっていたつもりなのに、とても新鮮ですっと胸に入ってくる言葉。



僕はそれを達成するためにも、新しい目標が必要になる。

目的とそれに沿った目標、その具体的な実行を自分のなかにつくった、そんな期間だった。


いま思うとブログは僕に宝物をくれた。それは"夢"だった。

僕は旅が好きだけど、旅がもっと日本人に広まってほしいけど、旅には生きない。

僕は旅に夢を探していたんではなくて、自己表現をする場を探して、旅の中につくった。

でも、それがいまは"夢"になった。とてもかけがえのないもの。


改めてブログを書き始めるに従って、"初志貫徹" その言葉をいまは大事にしたい。

やっぱり続けた先にしか見えないものはあるよね。


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2012年11月25日日曜日

イスラムの世界は"遠い"存在なのか?


はじめて訪れていただいた方、ありがとうございます。
僕の旅エントリーのおすすめです。ぜひ、読んでみてください。
〜風景〜

また会いたくなるところ。   チェンマイにある日本人の知らないダムに浮いたゲストハウスの記事。
自分だけの景色を探して。   ダージリンで眺めた茶畑の美しさに目を奪われた。
一生一度の沐浴。       インド人と並んでガンガーに浸かる。一生に一度の経験。
瞑想のその先に。       インド、ジョードプルで瞑想に挑戦してみたときの場所が絶景。
ダハブな生活。        海に、街に、人に恋してしまうダハブの日常の魅力。



〜想い〜


欠けたもの、気づけたもの。  いざ世界一周に出て知った自分の弱さや本当に求めていたもの。
時間と僕。          小さい頃、時間は友達だったはずなのに。。。いまは競争相手だ。
チャイのコップは投げられた。 コルカタで道を歩いていたら、、、どう受け止めるかの葛藤。
愛はいつも行動の中にある。  昔の恋愛で見えなかったことがすこしづつ見えてきた時。


インドなんて嫌いだよ。    だれがこんな国をすきになる?。。。。。でも、僕は嫌いになれなかった。


夢を見つけた時。       人は夢を探してるのに、本当に見つけたらどんな気持ちになるかな。ぼくは。。。



僕が世界一周ブログを書くにあたって考え方を参考にしたブログ。
僕のブログが終わる時、僕自身がこんな人間になっていたいし、読む人にもその考えが伝わるように。 


世界一周ブログランキングに参加しています。
表現の役目はそれと出会う前と後で気持ちの変化を起こすこと。
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昨日の記事、1000件以上のアクセスをいただきました。なんか緊張するけど、自分らしさは失わないように。
順位も再開2日で40位まで戻って来れました。本当にありがとうございます!


寒空の下、ガラタ橋に毎日くり出す魚釣り師たちに橋の欄干は埋め尽くされる。

橋のうえのボックスには大量に釣れたアジなどの魚が市場のように並んだ。

トルコ人、釣りが好きなんだろうか?

ちなみにサバはノルウェー産らしい。トルコじゃないんだ!

ガラタ橋の下に日本人に人気のイスタンブール名"サバサンド"

トルコの有名なモチモチふわふわのパンに、野菜と塩焼きのサバをはさみ、レモン汁で仕上げ。

ヨーロッパの旅を終えて、アジアに向かう旅人が「癖になる。」というその味。

僕もハマってしまいそうだった。トルコは本当においしい料理が多い。


世界で最も美しいとされるブルーモスク。作られたのは400年も前の話になる。

"ブルー"の所以が旅行者にはわからないかもしれない。

それは外観ではなく、内部の装飾タイルやステンドグラスの青さのことであるから。



なんて偉そうに言ってみたけど、歩いてたら近づいてきた日本語勉強中のトルコ人が教えてくれた。

「ぜんっぜん青くないじゃん。。。色褪せちゃったのかな。」

僕も最初にそう口にしていたしね。


اَلسَّلامُ عَلَيْكُمْ アッ・サラーム アライクム ;as-salaamu `alaykum

アラブ諸国でよく聞く"挨拶"にこんなのがあった。別れ際に、出会った時に彼らが言い合う。

その言葉のやり取りの表情を見ていたら、それが冗談かそうじゃないかぐらいはわかる。

"あなたたちのうえに、平和がありますように"

意味はそんな意味だった。

     اَلسَّلام アッ・サラーム;as-salaam

      שָׁלוֹם šālôm シャーローム


上がアラビア語で、下がイスラエルが使うヘブライ語。

英語にした時に発音が似ているとおもって調べたら、語源が一緒であることを知った。

どちらも"平和"という意味になる。

こんなに字のかたちが違うのに同じセム語という言葉からの派生らしい。

でも本当に重要なのは字面ではなくて、その意味。

つまりイスラエルやアラブの見える印象や文化の違いではなくて、ただ"平和"ということ。

僕が言いたいのはつまりそういうこと。あれ、伝わったかな?


いつか中東の戦争がなくなって、このふたつの言葉がひとつの挨拶に使われる日が来たらどんなにいいことだろう?

そんな想像をした。こころの奥底では共通した気持ちを持っているはず。

そう考えだしたら、ちょっと嬉しくなった自分がいた。



イスラム文化建築物に対するアラブ人のこだわりにはとても驚かされる。

その人間を圧倒するような大きさからの偉大さ、彩られた装飾の目を見張る美しさ。

イスラム教の世界では"偶像崇拝"が禁止されている。

キリスト教のように教会にいくとキリスト像がある、お寺に行くと仏像がある、ということがない。

イスラムの神様、アッラーは"人智を超えた、形なきもの"とされたから。

他の宗教が自分の神様を信じるために偶像をつくり出そうと必死になる時間に、イスラム世界では装飾が発展したと授業で習った気がする。


曖昧な記憶もモスク内部の装飾を眺めてしまえば「そうだった気がする。」とうなずくしかない。

イスラムには厳しい決まり事がある。ラマダンと呼ばれる断食や1日5回の礼拝など。

でもインドでシーク教を学んだ時のように、厳しい決まりは仲間意識を強くする。

ムスリムが国を超えて、イスラム諸国の連帯を強めているのは一種のおなじ共同体という認識があるから。

女性は人前で肌を出してはいけない。

イスラムの世界は、やはり僕らにとっても独特で慣れない。

女性に話しかけることは躊躇してしまうし、失礼があるのではないかという知らないことからの不安。





正直、僕にとってまだまだイスラム世界は"遠い"存在。

たぶん、他の日本人もキリスト教世界にとってもそう。





でもいつまでもそのままの"遠い"存在なのか? そのままでいいのか?





ただ少しだけ、旅をして彼らに出会って知ったこともある。

イスラムの"信仰"に関することはやはりわからない。

僕が知ったのは、"ムスリムの信仰心の幅であり、人間らしさ"だった。

日本や欧米もそうかもしれない。

イスラム教に対する僕たちの見方は、教義や決まり事の厳しさであり、それにただ祈る姿だけであった気がする。

それは僕たちに偏った見方を持たせて、人を見せてくれる機会はなかった気がする。

ムスリムの中にも自らの宗教の男尊女卑など良くない面に反対する者もいるのは僕らに知られない。



多様性のない存在というステレオタイプを作り上げてしまっている僕らの見方は、

イスラム文化を自分たちの持つ"多様性"という本の1ページにしまい込もうとするが

そこには無意識に、"自分たちとは理解しあえない者たち"というレッテルを貼っている。

これでは本当に文化を学ぶことなんて無理だ。

"尊重"の前提に、この考え方を取り払わなければいけないと僕はおもった。


たまに見かける他の旅人の記事で"本当は〇〇だった○○"といって笑う記事がある。

僕もそれを笑って流し読みしてきたけど、それこそが僕の好きな"人間らしさ"だった。

それがイスラム世界にも僕らの世界にもある"多様性という幅"だった。

そして何よりも"リアル"だった。




実際に旅をしてみても、彼らと触れあう機会があってもその部分に触れるのは難しいと思う。

でもよかったら彼らの"信仰の緩さ"をただ笑い飛ばすだけじゃなくて、人間らしい考えに基づいたものであると感じてみてください。

いまよりはイスラムの世界が近づいてくると思います。

そして僕らの理解が世界を少しづつ変えるのかな、なんておもってます。

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今日も読んでいただいてありがとうございました。
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