2012年10月11日木曜日

子供たちの家と死を待つ人の家。

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現在ダージリンからコルカタ経由でバラナシに向かってます。

〜わたしが思うに、この世で一番大きな苦しみは、ひとりぼっちで、誰からも必要とされず、愛されていない人の苦しみです。〜 マザーテレサ


子どもたちの家。

僕が最初に訪れたのは子どもたちの家、ダヤダン(親切な贈り物の意)

子供が大好きな僕。

保育士になるのも悪くないと思ったけどピアノが出来ないから諦めた。

僕には試したいことがあった。

自分は本当に子供が好きなのか。

ただ可愛い子供だけを好きなんじゃないのか。

問題を抱えた子供を真っ直ぐ見つめることが自分に出来るのか。

自分への挑戦だ。

ほかと変わらない粗末な建物の一角にその施設はある。

階段を上がると、テーブル付きのイスに固定されたように座る子供たちがボランティア一行を迎えてくれた。

黙っている子、リズムにのって踊る子、ボランティアに甘えてくる子、ひたすら寝ている子。

歩ける子は多くない。

大きな子は別室にいて触れあう機会がなかったがケンカが絶えず、ひどく大変らしい。

ほとんどの子に話しかけても普通の反応はない。

「いや、普通ってなんだ。」自分に問い直した。

ベテランのボランティアリーダーが子供の手を取って音楽にあわせて踊る。

テンションもすごく高くて、それでも決して無理している様子ではなかった。

僕もまねしてみるも自分らしくない。

この接し方では心から接することが出来ていない。

ひとりの子の前にしゃがみ、手を握り、ほっぺを触り、歌を口ずさみ、口笛を吹いて、寄り添うことのほうが僕はしたかった。自分らしく。

ある意味、自分との時間だったように感じた。

目の前にいる子を通して見えてくるのは自分の気持ちだった。

表情を動かすことを知らないような彼等のたまに見れる笑顔、泣き顔は何を意味するかもわからなかったが、なんとなく嬉しかった。


お昼になると、ご飯を口に運んであげる。

目の見えない子だが、スプーンが唇に触れると口を開いてくれる。

僕も負けじとあーんっと口を開くまねをしてしまう。

ゆっくりゆっくりと口に運んだ。

たまに下を向いてしまう時は、顔をあげさせてほっぺをつまむ。

「こーら。」自分に子供が出来たらこんな感じだろうな、とひとりにやける。

カレーのようなものをひととおり食べさせて達成感だったが、次はすりりんごのようなものがどさっとお皿に盛られる。他の子達はどんどん食事を終えて行く。


お皿の半分程でまた下をむき出した。

「焦らなくていいよ。」と待つ僕。シスターが近づいてきた。

おしまいかなとシスターをみると、その子の頭を掴んで顔をあげさせ、スプーンいっぱいにすりりんごを載せて唇に、その奥の前歯に押し当てる。

嫌がりながらも口を開く。ペースはどんどんあがった。

はじめは呆然と見ていた僕も、その子の背中をさすって声をかけ続けた。

無理矢理感もあったが、それがひどいとは感じなかった。

「この子が食べ終えるまでついてよう。」そう決めていた。

やっと食べ終えた時、シスターと顔を見合わせて笑った。ほかのシスターも僕らを見て微笑む。

「全部食べたのね!」

やっぱり今日はよくたべたみたい。

僕がそれに関係しただなんて偉そうには決して言えないけど、ただ嬉しかった。


お昼のあとはお昼寝の時間。ベッドに運ぶ。

ごろんと横になると、シャツがめくれてぷくっとしたお腹がでる。

そのお腹をさすって、「いっぱいたべたねー!」と笑った。

その子の顔も笑ったように見えた。そして"おやすみ"と一緒に"さよなら"をした。




死を待つ人の家で。

ここはニルマルヒルダイ(清らかな心の意)と呼ばれる。

その日の午後に、マザーテレサに関するビデオをみて、食事会をするというので訪ねてみた。

雰囲気は意外と重くない。

ただやはり寝たきりの人が多かった。脚を失った同じ歳くらいの青年もいた。

まだ上体も起こして元気そうにも見えるのに、彼にも死が迫っているのだろうか。

人生の終わりが見える彼。これからまだ生き続ける自分。

ぼくはどう見られたのだろう。僕の時計はまだまだ動き続けるはずだ。

でもそこには確かに振り子が小さく揺れ、止まりそうな時計が静かに置かれてあった。

ひとつの部屋に集められた。

ミサだ。祈りを捧げ、詩を口ずさむ。

ヨーロッパから来る多くのキリスト教の人はそれぞれのスタイルで想いを込める。

僕もフィリピンで少し憶えたスタイルで望む。

キリスト教ではないけど、世界中の人が想いを捧げる所へ、僕も想いを送った。


〜あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい。〜 マザーテレサ


ミサも終わり、休憩がてら屋上に出る。そこにはインド独特の空が広がっていた。

みんなが空を仰いだ。ここに集まった人はインドの空に何を想っただろう。




お世話になったシスター。マザーテレサが活動をはじめるにあたって最初にまとった白と青のサリー。

そこにマザーテレサの想いは引き継がれている。

この服はいくら汚れても、汚れない、そんな気がする。



一緒にボランティア活動に励んだ3人。



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あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい。

例えそれが十分でなくても気にすることなく

最良のものをこの世界に与え続けなさい。    〜マザーテレサ〜

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